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「URまちとくらしのミュージアム」が赤羽台にオープン:(第5回)「#Interviews まちづくりってどんな人が携わる?」

東京都北区赤羽にあった「赤羽台団地」をみなさんご存知でしょうか?
 
旧赤羽台団地は、わたしたちUR都市機構(以下UR)の前身である日本住宅公団によって昭和37年に建設された総戸数3,373戸からなる大規模団地でした。住棟の直交配置や「スターハウス」と呼ばれるポイント型住棟、そしてそこには多種類の間取りが導入されるなど、当時の先進的な技術がいくつも詰め込まれたことから、“名作団地”とも呼ばれてきた団地です。

旧赤羽台団地のうちスターハウス3棟と、昭和の象徴的な団地の形ともいえる板状住棟1棟は、高度経済成長期のくらしを今に伝えるものとして、2019年に団地として初めて国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。


“進化する”赤羽台にミュージアムが誕生

昭和30年代を中心に建設されたY字型住棟の「スターハウス」

そんな私たちのまちづくりにおいて象徴的な場所でもある旧赤羽台団地は、2000年から建て替えがスタートし、現在は団地の名称も「ヌーヴェル赤羽台」にリニューアル。団地の建て替え以前には、赤羽駅西口エリアの再開発にも携わっており、時代に合ったまちと住宅のモデルエリアのひとつとして広くまちづくりを進めてきました。
 
そして、今年9月15日には「URまちとくらしのミュージアム」がオープンします。URがこれまで取り組んできた「まちづくり(都市再生・震災復興・ニュータウンなど)」と「くらし(団地)」の歴史、そしてこれからを情報発信していく「都市の暮らしの歴史を学び、未来を志向する情報発信施設」で、先述のスターハウスなど保存住棟4棟に新たな展示施設を加えた計5棟、さらに屋外空間からなるURの「企業ミュージアム」です。

URまちとくらしのミュージアム

同ミュージアムには、2022年3月31日まで八王子で開業していた集合住宅歴史館に展示されていた同潤会代官山アパートメントや蓮根団地をはじめとする4団地を復元して設置し、都市と集合住宅のくらしの歴史や変遷をたどることができる展示室もあります。
 
また、保存住棟4棟は60年前の建設当時の外観を再現して展示施設としながらも、これからのくらしの提案を行うための改修技術等の実証フィールドとしても活用していきます。

それでは、この「URまちとくらしのミュージアム」を動画でご紹介します。


「URまちとくらしのミュージアム」の魅力とは

今回は「URまちとくらしのミュージアム」の設立に関わったURの野口聖太と、同ミュージアムの広報プロデューサーとして携わっている株式会社オープン・エーの代表取締役で建築家の馬場正尊さんに「URまちとくらしのミュージアム」の魅力や、まちづくりに携わることでの気づきや大切なことについて伺ってみました。

UR都市機構 野口聖太

UR都市機構 本社 技術・コスト管理部 企画課 主査
野口聖太しょうた

―「URまちとくらしのミュージアム」の見どころやこだわり、そして来場される方々に特に見ていただきたいポイントを教えてください。

ミュージアム内には、当時の住居を模型で展示している

一番の見どころは復元住戸ですね。代官山の同潤会アパートメントや晴海高層アパート、蓮根団地など当時使用していた建材や建具、サッシなどをそのまま使って復元しているので、当時の懐かしい雰囲気とともに日本のくらしの歴史をたどれる、とても貴重な空間になっています。
 
例えば同潤会アパートメントができた1920年代当時はまだ和室が主流で、食事を終えたらちゃぶ台を畳んで布団を敷くという、「食べる」と「寝る」が同じ空間でした。しかし蓮根団地ができた1950年代になると、いわゆる2DKが一般的となり、生活スタイルが洋風化して「食寝分離」のスタイルに変わっていきます。そうした人々のくらしの移り変わりが詳細にわかるのも魅力のひとつです。ちなみに今では当たり前となった「DK(ダイニングキッチン)」という表現も、実はURが先駆けとなって使っていた言葉なんですよ。

―ミュージアム設立に関わることで、まちづくりという観点から何か新しい気づきや住宅設計について興味深く感じた部分はありますか?

まちづくりにおけるコミュニティ形成」と聞くと最近の言葉のような感じがしますが、意外にもそうではなかったという点です。歴史をたどると関東大震災や太平洋戦争が起き、その復興を経て都市化が進んできたわけですが、関東大震災の復興の時から「まちづくりとコミュニティ形成」というのはずっと掲げられてきたことでした。
 
どの時代においても単に住宅の建設だけではなく、常に「本当に人が幸せに暮らしていくには何が必要なのか」を考えて、住まいとまちがセットでつくられてきたというのは私自身の気づきでもありますし、このミュージアムでもそれがわかるようになっています。人が幸せに暮らすためには住宅だけでなく、そこからの美しい眺めや、コミュニティを育む公園、共用スペースなども重要です。URはそうしたことをきちんと考えながらつくってきましたし、これからも大切にしなければいけないことだなと感じています。

―まちづくりに携わるにあたって重要だと思うマインドや考え方はありますか?

UR都市機構 野口聖太

地域のみなさんあってのまちづくりだと思うので、このミュージアムにおいても屋外空間を活用したイベントなど、地域の方々と一緒に作っていきたいと考えています。それが周辺地域の活性化に繋がっていけたらと思います。また、そのイベント風景もミュージアムの一部としてとらえてもらえるようにしていきたいです。

地域の方々がやりたいと思うことを私たちがサポートし、このまちが好きだと感じる人が増え、そうした人々が自発的にまちづくりをしていけるようになったらいいなと思っています。

―このミュージアムは「都市のくらしの歴史を学び、未来を志向する情報発信施設」ということですが、野口さんが考える望ましい「未来の都市のくらし」とはどんなものでしょうか?
 
インターネット上の仮想空間など、デジタルの世界も盛り上がってはいますが、人が生きている限りリアルなコミュニケーションというのはなくならないと思います。
 
ただ、便利な部分ももちろんあって、例えばこのミュージアムと地方都市を物理的につなげようとすると距離や費用が課題になりますが、仮想空間だったら簡単に両エリアをつなげられるという利点があります。その場所を訪れたような感覚で買い物ができますから、そこから派生して、今度は逆に双方でリアルな販売イベントをしてみようという新しいアイディアも生まれるかもしれません。そうやってデジタルとリアルが共存していくのも、これからの都市のくらしにあってもおもしろいだろうなと思っています。

誰もが楽しめる暮らしのミュージアム

オープン・エー代表取締役 馬場正尊

馬場正尊
オープン・エー代表取締役/建築家/東北芸術工科大学教授

―馬場さんは「URまちとくらしのミュージアム」にどのように携わっていらっしゃるのでしょうか。
 
ミュージアムの内容や魅力を伝えるための広報プロデューサーのような役割を担っています。同時に、ここをきっかけにURが地域の人々を巻き込みながら、団地や街に新たな取り組みを展開していけるようなきっかけをつくろうと試みています。ミュージアムが、ただ見て体験する場所ではなく、新たな暮らしの実験場、提案の場として位置づけられるとおもしろくなるんじゃないかなと考えているところです。

―「URまちとくらしのミュージアム」にはどのような特徴がありますか?

URまちとくらしのミュージアム

このミュージアムにはいくつかの特徴があります。一つめは、展示空間だけではなく、文化財として保存されたスターハウスや、大きく育ったケヤキなど、周辺環境全体を「ミュージアム」と位置づけていること。団地の環境の全体性を感じてもらえると思います。
 
二つめは、歴史的な団地の名作空間が、そのまま移設、復元されていること。中に入ると、まるでタイムスリップしたかのような感覚になります。ちょっと年配の方は、懐かしい記憶がよみがえってきたり、若い方々も、昭和の暮らしの素朴な質感を垣間見ることができると思います。まさに団地が戦後から現代まで、日本の暮らし方を探求し続けたことを実感できると思います。
 
三つめは、URが取り組み続けた、都市に対するアプローチを一望することができること。都市開発、都市再生のノウハウが集積してきたことがよくわかります。その蓄積が、東日本大震災後の震災復興事業等に直結しているわけです。ミュージアムの中の年表にそのプロセスが描かれていますが、なるほど、こんなところにもURが、と言うことに気づかされます。また、戦後の日本の暮らしや都市の歴史のダイナミズムを再認識することができると思います。

―馬場さんが個人として、あるいは建築家として、「URまちとくらしのミュージアム」の見どころを教えてください。
 
前川國男さんが設計した晴海高層アパートの内部空間は、かなり感動的でした。明快な空間構成で、これが今そのまま売り出されたとしても、大人気になりそうな部屋です。プロポーションも美しいし、細部までこだわりが見られる。住んでみたいなと思いました。
 
また、同潤会アパートメントでは、いかにその頃の日本人がコンパクトに暮らしていたかがよくわかります。関東大震災の後、必死で都市を生きる人々の姿がかなりリアルに想像でき、田の字型プランの、最も量産された部屋は、とても懐かしかった。小学生の頃、私の友人たちの多くが団地に住んでいて、まさにこんな空間の中で遊んでいたなと、記憶が一気に蘇りました。建築家としても、普通の55歳のおじさんとしても楽しめるミュージアムです。

―建築家として、日本建築史における「URまちとくらしのミュージアム」にはどのような意義や役割があるとお考えでしょうか?
 
団地は量産住宅なので、放っておけば解体され、新たな集合住宅に建て替えられてしまいますので、こうやって、歴史の断面が保存され、誰もが見て体験することができる場所が作られたこと自体に意義を感じます。
 
また、日本住宅公団から始まる組織の歴史は、日本のくらしや都市の探求の歴史と重なるところが多く、企業ミュージアムを超えた存在価値を感じます。
 
さらに、このミュージアムを整備することを機会に、今までに蓄積された図面や写真等の資料が映像のアーカイブとなって、1階の大型ディスプレイで検索、閲覧することができるようになっています。その内容は歴史的資料としても重要な意味を持っていると思います。まだこのミュージアムに来なければ見られないものなのですが、将来、デジタルアーカイブとしてウェブサイトやYouTubeなどで公開されるといいですね。
 
 野口さん、馬場さん、ありがとうございました! みなさんも是非、「URまちとくらしのミュージアム」に訪れて新しい体験をしてみてください。施設についてのさらに詳しい情報、来館予約については、こちらの公式サイトをチェックしてください。

■URまちとくらしのミュージアム
・アクセス:東京都北区赤羽台1丁目4-50。JR「赤羽」駅西口より徒歩8分
・開館時間:10:00~17:00
・休館日:水曜・日曜・祝日(年末年始・臨時休館あり)
・事前予約制、入場無料。10:00~/13:00~/15:00~(説明員付きツアー形式、各回90分程度)
・お問合せ先:03-3905-7550
・公式サイト:https://akabanemuseum.ur-net.go.jp
※復元住戸等、一部施設では車いす等での乗り込みが困難な箇所があります。

取材・執筆:日暮まり
写真:近藤俊哉
編集:福津くるみ
※オープン・エー代表取締役 馬場正尊さんの写真は別途提供

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