「うめきた公園」の未来への通過点として紡がれる挑戦の記録(第4回・後編)「#街ものがたり」
2024年9月6日(金)、大阪駅北側に広がる「うめきた公園」の南公園(サウスパーク)の全面と北公園(ノースパーク)の一部が、多くの人の期待を集めながら、ついに開園しました。
満を持してお披露目となった、梅田の新スポット
先行まちびらきを記念して実施されたオープニングセレモニーでは、近隣の方や来場者とともに新たなまちの“誕生“を祝いました。
その週末には、約50万人もの人びとが訪れ、都市の中心に突如として現れた緑豊かな空間を思い思いに楽しむ姿が見られました。
「うめきた公園」は、サウスパークとノースパークで構成され、ターミナル駅と直結する都市型公園としては世界でも最大規模。広大な緑地は、訪れる人々に憩いの場を提供するとともに、災害時には「広域避難場所」として地域を守る役割も果たします。
オープンしてから数カ月経ったうめきた公園は、すでに人びとの日常に溶け込み始めています。芝生を駆け回る子どもたち、ベンチでランチを楽しむ若者たち、夕暮れ時に足を運ぶ仕事帰りの人たち……。都市の喧騒の中に癒しが広がる、そんな新しい風景が大阪の中心に根づこうとしているのです。
今回、「うめきた公園」が誕生するまでの記事に続き、「うめきた公園」の開発に携わるUR都市機構(以下UR)西日本支社の桑波田圭子と岡田純に、開園後の反響や新たに見えてきた課題、そして2027年に予定されている全体まちびらきに向けた展望について聞きました。
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「ここに公園をつくったのは英断」。みんなが求めていた場所だったという実感
桑波田:ずっと駆け回っていたので、正直「ほっとした」というのが一番の感覚です。
長い準備期間を経て、ついに迎えた開園。先行まちびらきを終えた気持ちを伺ったとき、最初に出てきたのは、この言葉でした。
岡田:官民連携で沢山の調整を進める中で、たくさんの困難もありましたから、まずは無事にオープンできたことが本当に嬉しいです。
先行まちびらき後、予想を上回る数の来訪者と、それぞれが思い思いに公園を楽しむ光景を見ながら、感慨深い気持ちになると話す桑波田。
桑波田:オープンするまではずっとヘルメットを被り、関係者入り口を使って出入りしていましたが、今そこにたくさんの人が笑顔で集まっていて、「本当にオープンしたんだな」という気持ちが込み上げてきますね。
岡田は、オフィスの窓から公園の様子を眺めるのが日課になっていると話します。
岡田:昼間は親子連れが芝生でくつろぎ、観光客が散策を楽しむ。そして夜になると仕事帰りの人たちが憩いの場として利用してくださっているのが見えるんです。どんな人をも受け入れられる場所になっていることが嬉しいです。
ただの緑地ではなく、都市の中心で人びとの暮らしに優しく寄り添う特別な場所として機能し始めた「うめきた公園」。その変化は、利用者からの反響にもあらわれ、ソーシャルメディアや報道を通じて寄せられる声は、好意的なものが多いと言います。
桑波田:「この場所に公園を作ったのは英断だった」なんて言葉をソーシャルメディアで見かけることもあって、やっぱりみんなが求めていた場所だったんだなと、実感しているところです。本当に頑張ってきて良かったな、と。
「みんなが必要としていた場所」というのは、その使われ方からも見て取れると話す岡田。
岡田:たくさんの小さなお子様連れの方々にも訪れて頂き、気が付けばベビーカーが列をなすなど、現時点でとてもきれいに利用していただいています。せっかく良いものができたから、みんなで大切にしようという意識が自然と芽生えているのかもしれませんね。
防災公園としての使命。有事の際にふと思い出せる避難場所でありたい
「うめきた公園」が持つもうひとつの重要な側面、それは「防災公園」として、災害時に地域の安全を支える存在であることです。
岡田:防災公園としての啓発活動は、これからも継続的に進めていく必要があります。災害が起きたときに、まずはこの公園が避難場所になることを多くの人びとに知ってもらうことが重要だと思っています。
しかし、防災機能だけを強調することは、この公園の本来の価値を損なう可能性があると桑波田は指摘します。
桑波田:常に「防災、防災」と言い続けると、公園が緊張感を伴う場所になってしまいます。普段は気軽に訪れる「身近な広場」としての存在を大事にしながら、災害時に自然と「あの広場に逃げよう」と思い出してもらえる場所でありたいです。
普段の利用を通じて市民に親しまれることで、災害時にも頼れる場所として機能する。これが、理想的な防災公園の在り方であり、そのためには、利用者に向けた工夫が欠かせません。特に、大規模ターミナル駅直結という立地ゆえに、多くの観光客や出張で訪れるビジネスマンが利用する可能性を考慮した情報発信が課題です。
桑波田:普段住んでいる方には防災の周知がしやすいですが、観光客や短期の滞在者にとっては、情報が行き届きにくいのです。そこをどう解決するかは、今後、民間事業者とも連携しながら検討していかなければいけないと思っています。
防災機能を前面に出しすぎず、日常の中で親しまれる広場としての存在感を保ちながら、必要な情報を確実に伝える。うめきた公園が目指すのは、この二つの巧みなバランスです。
また、来年(2025年)は、阪神淡路大震災から30年の節目の年を迎えます。多くの命が失われ、まちが壊されてしまった中で、公園や広場といった空間がどれほどの役割を果たしたのか。身の回りから聞かされる震災後の混乱の話からも、防災公園の存在意義がいかに大きいかということを考えます。
岡田:避難場所に必要な水の量や、どのくらいの大きさにする必要があるのかなどは過去の災害から学んでいることも多いです。阪神淡路大震災の当時から、公園は避難場所の一つにはなっていましたが、発災後にその機能は強化されてきていると思います。私たちは、公園の整備はもちろんのこと、その周辺地域を一体的に整備していく役割も担っています。有事のときにしっかりと防災公園として機能するよう、「うめきた公園」でも引き続き整備を続けていきます。
2027年、全体まちびらきに向けた新たな挑戦
先行まちびらきを経て、「うめきた公園」は本格的にその歩みを進め始めました。しかし、2027年に予定されている全体まちびらきに向けて、プロジェクトはまだ途中段階にあります。この公園が人びとの生活にどのような影響を与えるのか。その全貌が見えるのは、これからです。
岡田は、現在を「通過点」と表現します。
岡田:先行まちびらきは、あくまでスタート地点のひとつで通過点です。ここから見えてきた課題をひとつひとつ改善し、全体の完成に向けて進めていかなければいけません。公共団体や民間事業者との連携をしっかりと取りながら、最終的な形を作り上げたいと思っています。
桑波田もまた、この挑戦がまだ始まったばかりであることを実感しているそう。
桑波田:本当にほっとしたのは、まちびらきの初日だけでしたね(笑)。その夜に、公園でみんなでビールを飲んで少しだけ達成感を味わいました。やるべきことはまだまだ山積みです。
また、現在「うめきた公園」では、整備前と整備後の効果検証も進められているそう。公園ができたことでまちの温度がどう変わったか、CO2の排出量がどのように改善されたか、昆虫や植物の生態系にどのような変化があったか。そして、人びとの動線や流れがどのように変化したか。これらの要素を細かく検証することで、この公園が環境と人々の暮らしに与える影響を明らかにしようとしています。
桑波田:あと数年ほどで具体的な結果が出せるのではないかと思っています。この公園が、人にとっても環境にとっても良い存在であると証明できるような成果を民間事業者さんとも連携をとりながら、目指していきたいです。
このプロジェクトを成功に導く鍵となっているのは、やはり官民の強力な連携。都市開発は、多くのステークホルダーが関わる複雑なプロジェクトです。それぞれの立場が異なる中で、いかに調整し、一つの方向へと力を合わせることができるか。URにはその調整力が求められています。
最後に、このプロジェクトを通じて感じるまちづくりの本質について岡田はこう語ってくれました。
岡田:まちづくりにおいて重要なのは、官と民が同じベクトルを持ち、同じ方向を見つめることだと思います。それぞれの立場で進めていくことも大事ですが、大きなビジョンを共有しながら、調整し合っていくことが成功の鍵であり、URの役割です。2027年に向け、引き続き官民連携の強化をはかっていきたいと思います。
訪れる人々とともに、新たな価値を紡ぎ出す場所へ
人びとが思い思いの時間を過ごし、安心と癒しを感じられる場所。いざという時には命を守る拠点として機能する場所。そんな特別な空間を創り上げる挑戦は、まだ道半ばです。
しかし、「うめきた公園」を訪れるたびに、これまでの大阪にはなかった「心地よさ」が感じられます。都市の喧騒から解放され、空を見上げるだけでほっとする時間。けれど、それはただの癒しではなく、ここで生まれる「人と自然、まちとのつながり」を感じるからこその安らぎなのかもしれません。訪れるたびに新しい発見があり、日常に欠かせない一部になっていく。そんな未来が、この公園には待っているのだと確信します。
2027年の完成後も、うめきた公園は変化を続け、訪れる人々とともに新たな価値を紡ぎ出す場所となるでしょう。このプロジェクトが描く未来は、都市の新しい生き方を提案する象徴となるのかもしれません。