津島〜寺密度東海No.1。歴史と共存した多彩なスポットが集まるまち〜(第11回)「#エモ街」
懐かしくて新しい“エモ”な街を巡る連載「#エモ街」。11回目となる今回は、愛知県津島市を訪れます。
神と仏に愛された歴史と伝統のまち
名古屋駅から電車で約30分、車で約25分ほどの距離にある愛知県津島市。名古屋市への通勤・通学にも便利ながら、歴史のある神社仏閣や緑豊かな大型公園があり、歩いているだけでなんだか心が落ち着くまちです。
津島市は、古くから木曽川を渡って東西を結ぶ要衝「津島湊」として、また全国の天王信仰の総本社「津島神社」の門前町として、昔から多くの人びとが行き交う地域でした。
まちの顔ともいえる、西暦540年創建の「津島神社」。全国約3,000社の「天王社」の総本社には、全国から多くの参詣者が訪れます。そんな守り神を護るかのように、周辺には寺が多く、東海三県(愛知、三重、岐阜)では「寺密度(寺院数÷市町村面積【平方キロメートル】)」ナンバーワンだそうです。
また、若き織田信長が往来した「津島上街道・下街道」などの古い街並みをはじめ、江戸時代の水上交通の要を整備した「天王川公園」、そこで執り行われるユネスコ無形文化遺産にも登録された「尾張津島天王祭」など、長い歴史と文化が今でも大切に受け継がれています。
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子育て世代にも選ばれる、ますます便利で快適なまちへ
ここ数年、津島市では「天王川公園」の整備をはじめ、新たな拠点整備に向けて、名鉄「津島」駅周辺のまちづくりを推進中。便利で快適さを実感できる暮らしやゆとりのある都市の実現を目指して、持続可能なまちづくりを行っています。歴史や伝統を守りながら暮らしやすいまちとして、今後ますますの発展が期待できそうです。
そんな優しい未来を描くまちには、UR都市機構(以下UR)の「津島団地」があります。一人暮らしからファミリーまで、幅広い世帯に対応。津島駅の目の前に建つ団地は、大型のスーパー、ドラッグストア、家電量販店が近くにあり、日々の暮らしにとても便利。仕事や子育てに忙しい世代にもうれしい団地です。また、URは住まいづくりだけではなく、津島市が推進する津島駅周辺エリアのまちづくりにも協力をしています。
まちの仏様を護ってきた古刹でアートな御朱印「牛玉山・観音寺」
では、津島駅の駅前から伸びるメインストリート「天王通り」を歩いていきながら、津島市の魅力を見つけていきましょう。
まず訪れたのは、「牛玉山・観音寺」。こちらは津島神社の神宮寺として、神社を護っていた寺院のひとつです。創建は江戸時代初期だと教えてくれたのは、住職の長谷川快真さん。
「祖父の代から観音寺を任されるようになりました。祖父は観音寺を維持しながら、大須観音(北野山真福寺宝生院)に勤めていました。このあたりはお寺が多いでしょう。一説には、織田信長が津島神社とともに寺院を擁護したからであり、津島湊で財産を築いた町衆が権威を高めるためにお寺を建立したからとも言われています」(住職)
まちを歩けば寺に当たるとも言われ、神と仏に護られてきた津島市。それゆえに信仰はひとびとの暮らしに根づいています。「散歩ついでに早朝にお参りしてくれたり、仕事帰りに夜の護摩祈祷(毎月2回、18日の夜と28日の朝)に立ち寄ってくれたりします」と、住職の長谷川さん。
また、寺の多さを活かし、まちでは御朱印巡りツアーなどを開催しています。なかでもアート作品のような観音寺の御朱印は、参加者からも人気だそうです。
御朱印を手がけるのは、住職の息子、副住職の長谷川優さんです。芸術大学出身の副住職は、文字よりも絵が得意だそう。御朱印帳に小さな仏様を描くだけだったものの、ご本尊の不動明王像を描いたことで、その凄まじい迫力がSNSを中心に話題に。「観音様を」、「徳川家康を」と参拝のひとに頼まれるがまま描くうちに、オリジナル御朱印が百種類以上に。「御朱印をきっかけに、若い人がお参りに来てくれるようになったのはうれしい。津島ならではの寺町を楽しんで欲しいです」(副住職)
断ち切り不動として縁切りで名高い観音寺で今年の悪縁は経ち切って、新たな年を迎えるのも良いかもしれません。
アロマキャンドル × 至福のチャイで街に活気を灯す人気店「Enishi Candle」
駅前から津島神社へと伸びるメインストリート「天王通り」が、活気に満ちていたのは昭和も半ばのころ。映画館、喫茶店、洋品店や書店、花屋など、さまざまな店が並んでいました。昔とは雰囲気が変わったメインストリートですが、まちの魅力を新たに灯しはじめた店にも出会えます。
キャンドルアーティストNOVこと、津島市出身の住田伸彦さんが店主を務めるキャンドル工房兼ショップ兼ドリンクスタンド「Enishi Candle」。扉を開けると、ふわりと心地のいい香りに包まれます。古材を活かした温もりのある店内には、優しい色合いのキャンドルが数多く並びます。「キャンドルは心や体を癒すためのもの。だからこそ、アロマキャンドルの香りには合成香料は使わずに天然の精油(エッセンシャルオイル)だけを使って香りを調合しています」と住田さん。自分用に購入したひとが、友人や家族へギフトにすることも多いそう。キャンドルは、津島市のふるさと納税返礼品にも選ばれています。
もともとは東京で働いていた住田さんは、趣味の音楽フェスでキャンドルに出会い、キャンドルづくりをはじめます。好きが高じてキャンドルアーティストの道へと進みはじめたころ、家族を介護するために故郷の津島へUターンを決めたといいます。「アトリエを探していたときに偶然見つけて、2017年から天王通りにアトリエを構えました。昔は津島一の繁華街で、子ども時代は映画を観に訪れたり、家族そろって祭見物に来たり、そんな懐かしい地元の通りを盛り上げたくてショップも併設することにしました」
キャンドルだけでは店に立ち寄りにくいかと、持ち前の研究熱心さで、やみつきになる名物の“至福のチャイ”や無農薬果実シロップを使ったソーダなど、コーヒーも含めオーガニックなメニューをそろえたカウンターカフェもオープン。「御朱印巡りに訪れる若いひとはもちろん、ご近所に暮らす70代、80代のおばあちゃんもよく至福のチャイを飲みに来てくれます」
近所の店主仲間とイベントを開催してきた住田さん。お月見会などではキャンドルを組み合わせたイベント展開も。「まちに賑わいを生むような取り組みには、これからも関わっていきたいですね」
江戸創業。名物はシフォンケーキとスムージー「糀屋」
津島市の本町筋は「津島上街道・下街道」と呼ばれ、江戸時代からの古い街並みが残っています。名古屋へとつながる上街道には、江戸は安政2年創業の糀製品を手がける「糀屋」があります。「江戸のころは手前味噌の言葉通りに、どこの家でも味噌をつくっていました。そのため、糀は生活必需品でした。この地に初代が糀屋を構えたのは、多くの参拝客で賑わう津島神社が近くにあったからだと聞いています」と話すのは、7代目店主の加藤義隆さん。
糀屋では、米、豆、麦と三種類の糀を製造販売。一般的に糀屋といえば米糀の製造がほとんど、三種類もつくっているのは非常に珍しいそう。「愛知県は、豆味噌、たまりしょうゆ、みりんと発酵食が盛んな地。そのため、昔と変わらず三種類の糀を作っています。また、豆糀は八丁味噌に欠かせませんから」と話す加藤さん。
昔ながらの糀はもちろん、時代にあわせた糀のシフォンケーキをはじめ、自家製甘酒を使ったプリンにジェラート、最近は甘酒スムージーなどの商品も開発。「甘酒のスムージーは、娘のアイデアを商品化したもの。甘酒は夏の養生に飲むものだから暑い時期にはぴったりですね」
本町筋で生まれ育った加藤さんは、どれだけ時代が変わろうともまちの歴史景観を守っていきたいと言います。「この本町筋は商いをやっている家がほとんど。今でも屋号で呼び合ったりもする。都市計画によって変わる部分はあっても、江戸につながる景観を上手に残して、それを観光資源として町にひとを呼び込んで欲しいです」
ひとを呼び込む施策として、糀屋は数年前から味噌づくり教室を開催しています。毎年のように参加者は増えて、なんと昨年は500名を超えました。加藤さんは味噌づくりの指導をしながら、津島市の歴史や魅力を伝えるのが楽しみだそう。また郷土食の復興に力を入れていて、尾張徳川家に献上されていた幻の“津島麩”の再現も。「津島の古い街並みを守るとともに、郷土の食文化を伝えていくことも私の役目です。町歩きでは、津島の食も楽しんで欲しいですね」(加藤さん)
“ひと”と“まち”のマッチングスペース「まちのたね」
そんな津島市の暮らしや地域の最新情報にも触れられるのが、名古屋市の繁華街・栄にある、URの情報交流拠点「まちのたね」。“ひと”と“まち”のマッチングスペースである「まちのたね」では、地域経済活性化を目的として、日本全国のまちの魅力を発信し、自治体によるPRイベント、展示・物販、ワークショップなどを開催しています。
津島市は、「まちのたね」に過去最多で出展経験のある自治体であり、先日11月18日(月)から24日(日)には4度目の出展を行いました。
期間中は、本記事でご紹介しているEnishi Candleや糀屋の商品も販売していたほか、観音寺の副住職によるライブペイントも行われ、多くの方が足を運んだそうです。
古き街並みのなかに、今の時代をとらえた古刹や老舗、個性あふれる店主のしゃれたショップが点在する津島市を訪れるとともに、日本全国の魅力を伝える「まちのたね」にもぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。